2009年7月9日木曜日

習慣1-1 「みことば ~礼拝説教の聞き方~」

今回から新しい学びのシリーズに入ります。参考にするのはリック・ウォレン著の「霊的成長をもたらす4つの習慣」です。その第1の習慣は「みことば」です。岐阜キリスト教会でも2009年度スローガンを「生活の中心に主の祭壇(祈り・みことば・献身)を!」と掲げていますが、それと大いに通ずるところがあります。私たちはどうしたら霊的に成長できるのでしょうか?

本書の題名が「霊的成長をもたらす4つの習慣」となっていることは興味深いことです。なぜなら「習慣」は一朝一夕によっては築かれないからです。「決断」が「行動」を生み出し、「行動」の積み重ねが「習慣」を生み出します。つまり霊的成長のための魔法の方法はなく「長い時間」と「忍耐」が必要なのです(ヤコ1:4)。逆もまた真で、どんなに長くクリスチャンをしていても、「忍耐」と「信仰による決断」がないなら、いつまでたっても「信仰的には幼子」のままなのです(ヘブ5:12)。

霊的な成長を阻害するものは何でしょうか?いろいろ上げられると思いますが、中でも大きな原因は「気ままな態度」です(Ⅱテモ4:3)。聞きたくないことは聞かず、やりたくないことは一切やらない。自分の好きなことだけをし、自分の好きなみことばだけを聞こうとする、そのような態度のことです。彼らの教会生活は「非常に受け身」で「気分任せ」です。そこには「信仰による決断」も「忍耐」もありません。ただ自分の「気分」だけがあり、それが心の王座を占めているのです。

では反対に霊的成長をもたらすものは何でしょうか?一番先にあげられるのが「みことば」です。聖書には「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは神の人が、すべての良い働きのために相応しい十分に整えられた者となるためです」(Ⅱテモ3:16-17)とあります。賛美や交わり、祈りなど、他にも大切なことはたくさんありますが、このみことばから離れてしまう時、私たちの信仰は「気まま」で「自己流」になってしまうのです。

しかもその「聞き方」が大切です。今回は礼拝説教について特に言及しますが、ある統計によると、耳から入った情報は、何と72時間以内にその95パーセントが失われてしまうそうです。あなたは、数日前の礼拝メッセージを、どれくらい思い出せるでしょうか?聖書には「自分を欺いて、ただ聴くだけのものであってはいけません(ヤコ1:22)」「だから、聞き方に注意しなさい(ルカ8:18)」とあります。

良い聞き方とは、何度も「思いめぐらす」ことです。詩篇1篇2節には「その人は…教えを口ずさむ」とありますが、脚注には「思い巡らす」とあります。つまり、牛が何度も草を反芻して、その栄養を十分に消化吸収するように、私たちもみことばを何度も反芻し、その栄養を吸収することが大切なのです。試しに、日曜日の午後から月曜日の朝までに少なくとも3度、礼拝説教を思い出してみてください。そしたらもう忘れません。そして1週間かけて、みことばを「実行」するのです!

サタンの策略は、私たちを礼拝説教以外のものに熱中させることです。今までの歴史においても、教会がみことばより、政治活動や社会運動に一生懸命になった時、信仰の灯火が消えそうになりました。◆私たちがもし礼拝説教よりも、教会行事や交わり、クワイアやその他の奉仕を愛するなら、私たちの信仰の炎も消えてゆきます。◆一週間の罪をすべて主に告白し、心を空っぽにして礼拝に出席しなさい。そして神様に期待し、大きな口をあけなさい(詩81:10)。すると神様は、あなたに大切なみことばを授けてくださいます。後はそれをよく反芻しなさい。

あなたの口を大きくあけよ。
わたしが、それを満たそう。
その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを反芻する。
その人は、何をしても栄える。
(詩篇81:10、1篇2-3節意訳)

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