2010年3月5日金曜日

習慣4-6「共に生きること」 エペソ4章 ヤコブ3章

「交わり」について学びが、これほど長くなるとは、私自身思っていませんでした。でも学べば学ぶほど、このテーマの大切さが分かってきます。なぜなら、クリスチャンの真実な交わりこそ「可視的な福音」だからです。聖書にもこう書いてあります。「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです(Ⅰヨハネ4:12)」。どうでしょうか?私たちの交わりは、主の栄光を、いや主ご自身を、人々に現しているでしょうか?

その交わりが「聖」か「俗」か、語られている言葉によって見分けることができます。私は、たまに喫茶店で本を読むことがあります。すると突然、すぐ近くの席で、大声でおしゃべりが始まり、静寂が打ち破られる時があります。それ自体は仕方ありません。彼女たちもお金を払っているのですから。でも聞こえてくる内容に驚きます(誤解のないように、聞きたくなくても聞こえてくるのです)。その90パーセントは噂話。そして大体、情報通で声の大きなリーダー格の人が、その場を仕切っているのです。少し極端な言い方かもしれませんが、この世の交わりでは、そのように「影の噂話の支配人」が、影響力を持っているのではないでしょうか?そして他の人は、自分も陰口を言われないよう、何となく同調しているのです。

教会の交わりは大丈夫でしょうか?聖なる愛の交わり(コイノニア)と、この世の交わり(井戸端会議)を、混同してしまっていることはないでしょうか?そこで話されている言葉は、本当に主を喜ばせ、教会と人の徳を建てるのに役立つ言葉でしょうか?積極的に悪い言葉を口にはしなくても、消極的に同調していることはないでしょうか?「もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます(ヤコブ3:14-18)」。

まずは主の前で静まりなさい(詩37:7)!ボンヘッファー(ドイツ神学者)は言いました「主の前で静まらない者が、交わりに出ていくなら、その者はただ俗悪な無駄話に酔っているだけである。イエス様はいつも、交わりに出て行く前に、寂しいところに退かれた」。またこうとも言っています「交わりに加わろうとしない隠遁者は、心の中で人を見下す、独善の罠に陥る」。つまり主と交わることと、兄弟姉妹と交わることは表裏一体なのです。そのどちらが欠けても、健全な霊的成長はありません。主の前で静まる者のみが、本当の交わりを築けるのです。

また、よく聞くものとなりなさい(ヤコブ1:19)。もう言い古されていることですが、人には耳が二つあるのに、口は一つしかありません。なぜでしょうか?それは、よく聞く者となるためです。まずは人の話をよく聞きましょう。自分の意見を言う前に、相手の言わんとしていることと、その言葉の背後にある気持ちをしっかり聞きなさい。またそれ以上に、主の語られる言葉をしっかり聞きなさい。毎日のデボーションと礼拝のメッセージの中に、問題解決のヒントが詰まっています。このようによく聞く者のみが、隣人に対して真実を語ることができるのです。

あなたは隣人に真実を語っていますか?真実な言葉とは「単なる事実」ではありません。事実が人を傷つけたり、辱めたりすることもあります。真実な言葉とは「愛のある言葉」です。あなたの言葉に「愛」がありますか?真実は人(教会)を生かし、偽りは破壊します。

穏やかな舌はいのちの木。
偽りの舌はたましいの破滅。(箴言15:4)

ですからあなたがたは偽りを捨て
おのおの隣人に対して真実を語りなさい。(エペソ4:25)

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